名前:ラオール・ラフベリー
所属:ラファイエット中隊 アメリカ陸軍航空隊
階級:少佐
誕生日: 1885年3月14日
死亡日:1918年5月19日
撃墜数:17機
叙勲:レジオン・ド・ヌール勲章 フランス戦功十字章
経歴:アメリカ人の父とフランス人の母の間にフランスで生まれ、その後両親とともにアメリカへ渡った。1907年にアメリカ陸軍に入隊してフィリピンで軍務に就いた後、アジア各地を旅行し、1910年にフランス人飛行家マルク・ポープの下で飛行機のメカニックになった。第一次大戦が始まり、1914年12月にポープが戦死すると、フランス空軍に入隊し、外国人だけで編成されたラファイエット飛行中隊に配属された。そこでラフベリーはドッグファイターとしての才能を発揮し、ニューポール17とスパッドⅦを駆って16機を撃墜してトップエースとなった。その後、アメリカが参戦すると、第94飛行中隊の教官となりエドワード・リッケンバッカーやリード・チェンバースらの指導に当たったが、1918年5月19日に飛来したドイツ機をニューポール28で迎撃した際被弾し、燃える機体から飛び降りて戦死した。
ラフベリーの公認撃墜数は17機(フランス空軍で16機、アメリカ陸軍で1機)とされているが、未確認撃墜を含めると30機近いと言われている。
ラファイエット中隊時代には「ウィスキー」と「ソーダー」と名づけた2匹のライオンをペットとして飼っていたことで知られる。また、「フレンチ75」という有名なカクテルもラフベリーの考案と言われる。