名前:滋野清武

所属:フランス空軍

階級:大尉

誕生日:1882年10月6日

死没日:1924年10月13日

撃墜数:8機

叙勲:レジオン・ド・ヌール

経歴:陸軍中将男爵滋野清彦の三男として生まれた。東京音楽学校を卒業した後、子爵清岡公張の三女和香子と結婚するも2年で死別した。

1910年12月単身で渡仏し、草創期の飛行機に魅せられて操縦術を学び、1912年1月に日本人として初の飛行免許を取得した。いったん帰国した後、1914年に再び渡仏した際に第一次大戦が勃発し、フランス陸軍航空隊に志願入隊して飛行大尉に任ぜられた。その後、ボアザン爆撃機のパイロットとしてめざましい活躍を示し、1915年10月にレジオン・ド・ヌール勲章とクロワ・ドゥ・ゲール勲章を叙勲した。さらにフランスのエース部隊であるコウノトリ戦闘機隊に配属され、スパッドⅦでドイツ機を8機撃墜して日本人で唯一のエースとなり、フランス人パイロットたちの信頼と賞賛をかち得た。滋野は愛機の胴体に亡妻和香子の名前にちなんだ「WAKADORI」の文字と鶴の絵を描いて戦ったと言われている。