1914年 |
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7月28日 |
第一次世界大戦勃発 |
1915年 |
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4月3日 |
アドルフ・ペグー(仏6機)、世界最初のエースとなる。 |
6月7日 |
レジナルド・ウォンフォード(英1機)、モランソルニエLによりツェッペリンLZ37を撃墜し、ヴィクトリアクロスを受章。 |
8月31日 |
アドルフ・ペグー、飛行学校時代の教え子カンドゥルスキー(独)に撃墜され戦死。 |
1916年 |
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1月12日 |
マックス・インメルマンとオズワルド・ベルケ、ドイツ軍パイロットとして最初のプール・ル・メリット(通称ブルー・マックス)勲章を受章。 |
6月18日 |
マックス・インメルマン(独17機)、英国のFE2bとの空中戦により戦死。 |
8月1日 |
エデュアルド・プルペ(露5機)、エルヴィン・ベーメ(独24機)に撃墜され戦死。 |
9月3日 |
ウィリアム・リーフェ・ロビンソン(英1機)、英国上空でB.E.2cによりツェッペリンSL11を夜間撃墜し、ヴィクトリアクロスを受章。 |
9月23日 |
ウルスタン・テンペスト(英1機)、英国上空でツェッペリンL31を夜間撃墜。 |
9月23日 |
フレデリック・ソウレイ(英13機)、英国上空でツェッペリンL32を夜間撃墜。 |
9月25日 |
クルト・ヴィントゲンス(独19機)、アルフレッド・エルトー(仏21機)に撃墜され戦死。 |
10月16日 |
D.H.2のトップエース パトリック・ランガン・バーン(英10機)、オズワルド・ベルケ(独40機)に撃墜され戦死。 |
10月28日 |
ドイツ戦闘機隊の父 オズワルド・ベルケ(独40機)、空戦中にエルヴィン・ベーメ機と衝突して戦死。 |
11月22日 |
ステファン・キルマイア(独11機)、ジョン・アンドリュース(英12機)とケルヴィン・クロフォード(英5機)に撃墜され戦死。 |
11月23日 |
イギリスの英雄 ラノー・ホーカー(英7機)、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(独80機)に撃墜され戦死。 |
11月28日 |
エグバード・キャドバリー(英2機)、北海上空でツェッペリンL21を撃墜。 |
12月20日 |
アーサー・ナイト(英8機)、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンに撃墜され戦死。 |
12月27日 |
グスタフ・レファーズ(独9機)、ジョン・クエステッド(英8機)に撃墜され戦死。その直後にクエステッドもヴィルヘルム・シメラ(独5機)に撃墜され不時着。 |
1917年 |
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1月1日 |
ゴットフリート・バンフィールド(墺9機)、ドベルド上空でフランチェスコ・バラッカ(伊34機)と1対1で戦って引き分ける。 |
4月8日 |
ドイツ系ユダヤ人のトップエース ヴィルヘルム・フランクル(独20機)、デヴィッド・ティドマーシュ(英7機)らのF.2bブリストル・ファイターに撃墜され戦死。 |
4月11日 |
デヴィッド・ティドマーシュ(英7機)、クルト・ヴォルフ(独33機)に撃墜され不時着。 |
4月30日 |
ジョン・マローン(カ10機)、パウル・ビリク(独31機)に撃墜され戦死。 |
4月30日 |
ウィリアム・ライト(英8機)、マックス・フォン・ミューラー(独36機)に撃墜され不時着。 |
5月5日 |
アルフレッド・エルトー(仏21機)、エルンスト・ウーデットに頬と両太腿を撃たれ重傷を負う。 |
5月7日 |
イギリスの英雄 アルバート・ボール(英44機)、嵐の中でローター・フォン・リヒトホーフェン(独40機)と戦い、地上に激突して戦死。(操縦ミスとも) |
5月11日 |
ドイツ系ユダヤ人エース エドムンド・ナザナエル(独15機)、ウィリアム・ケネディ・コクラン・パトリック(英21機)に撃墜され戦死。 |
5月15日 |
ウィリアム・カーフィー(英6機)、フランツ・ヴァルツ(独7機)に撃墜され戦死。 |
5月25日 |
ルネ・ドルム(仏23機)、ハインリッヒ・クロール(独33機)に撃墜され戦死。 |
5月28日 |
アラン・スコット(ニュ5機)、カール・アルメンレーダー(独30機)に撃墜され負傷する。 |
6月2日 |
早朝ウィリアム・ビショップ(カ72機)、単機でドイツの飛行基地を襲いアルバトロス3機を撃墜した戦功によりヴィクトリアクロスを受章するも、目撃者やドイツ側の記録がなく、後に真実かどうかを巡って論争となる。 |
6月5日 |
カール・シェーファー(独30機)、ハラルド・サッチェル(英8機)とトーマス・ルイス(英6機)のF.E.2dに撃墜され戦死。 |
6月6日 |
エルンスト・ウーデット(独62機)、ジョルジュ・ギヌメール(仏53機)と一騎打ちして引き分ける。 |
6月25日 |
ジェラルド・ナッシュ(カ6機)、カール・アルメンレーダー(独30機)に撃墜され捕虜となる。 |
6月27日 |
カール・アルメンレーダー(独30機)、味方の地上砲火に誤射されて戦死。一説に。レイモンド・コリショウ(カ60機)に撃墜されたとも。 |
7月22日 |
ジェフリー・コック(英13機)、ヴィルヘルム・ラインハルト(独20機)に撃墜され捕虜となる。コックはソッピース・ストラッターのトップエース。 |
7月28日 |
マッソウ・フリュー(英23機)とジョージ・ブルック(英7機)のソッピース・ストラッター、マックス・フォン・ミューラー(独36機に)に撃墜される。 |
7月28日 |
エドワード・クランドール(英7機)とジョン・タドホープ(カ10機)、アドルフ・フォン・トゥチェク(独27機)に撃墜される。 |
8月11日 |
アドルフ・フォン・トゥチェク(独27機)、チャールズ・ブッカー(英29機)に撃たれ重傷を負う。ブッカーも救援に駆けつけたヴィクトール・ショービンガー(独8機)に撃墜され負傷する。 |
8月16日 |
ノエル・ウェッブ(英14機)、ヴェルナー・フォス(独48機)に撃墜され戦死。 |
8月17日 |
ハロルド・ジョスリン(カ7機)、ザヴィエル・ダンフーバー(独11機)に撃墜され戦死。 |
8月17日 |
フィリップ・ジョンストン(オ6機)、ハンス・ベトゲ(独20機)に撃たれ、僚機と空中衝突して戦死。 |
8月19日 |
セシル・リチャーズ(オ12機)、エルンスト・ヘス(独17機)に撃墜され捕虜となる。 |
8月21日 |
バーナード・スマート(英1機)、軽巡洋艦ヤームスから発艦し、ツェッペリンL23を撃墜。 |
8月25日 |
オーランド・ブリッジマン(英5機)、ヘルマン・ゲーリング(独22機)に撃墜され負傷。 |
9月3日 |
オットー・ハルトマン(独7機)、ロバート・ドッズ(カ10機)に撃墜され戦死。 |
9月11日 |
フランスの英雄 ジョルジュ・ギヌメール(仏53機)、クルト・ヴィッセマン(独5機)に撃墜され戦死 |
9月11日 |
ルイス・ジェンキン(英22機)、オットー・シュミット(独20機)に撃墜され戦死。 |
9月15日 |
クルト・ヴォルフ(独33機)、ノーマン・マクレガー(英7機)に撃墜され戦死。 |
9月23日 |
ドイツの英雄 ヴェルナー・フォス(独48機)、アーサー・ライズ・デイヴィッズ(英25機)に撃墜され戦死。 |
9月23日 |
カール・メンコフ(独39機)、アーサー・ライズ・デイビッズ(英25機)に撃墜される。 |
9月27日 |
ハンス・ヴァルドハウゼン(独6機)、ジョン・タドホープ(カ10機)とチャールズ・ブッカー(英29機)に撃墜され捕虜となる。 |
10月1日 |
ロバート・スローリー(英8機)、ザヴィエル・ダンフーバー(独11機)に撃墜され戦死。 |
10月9日 |
ウィリアム・ルーパー(英8機)、ザヴィエル・ダンフーバー(独11機)に撃墜され戦死。 |
10月18日 |
ザヴィエル・ダンフーバー(独11機)、アンドレ・ドゥメルメースター(ベ11機)に撃墜され重傷を負う。 |
10月23日 |
アーサー・ライズ・デイビッズ(英25機)、カール・ガルヴィッツ(独10機)に撃墜され戦死。 |
10月30日 |
ドイツの気球撃墜王ハインリッヒ・ゴンテルマン(独39機)、フォッカーDr.1の試験飛行中に事故死。 |
10月31日 |
トーマス・ステフェンソン(英5機)とシドニー・プレイテル(英5機)同乗のブリストル・ファイター、ハンス・ベトゲ(独20機)に撃墜される。 |
11月15日 |
ハンス・アダム(独21機)、ケネス・モントゴメリィ(英12機)に撃墜され戦死。 |
11月29日 |
エルヴィン・ベーメ(独24機)、アームストロング・ホイットワースF.K.8に撃墜され戦死。 |
12月2日 |
ハリー・ルックフォード(英24機)、ヴァルター・フォン・ビューロー・ボトカンプ(独28機)に撃墜され戦死。 |
12月18日 |
ギルバート・グリーン(英9機)、ソッピ-ス・キャメル夜間戦闘機により英本土上空で初めてゴータG.Ⅲ爆撃機を夜間撃墜する。 |
1918年 |
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1月6日 |
ヴァルター・フォン・ビューロー・ボトカンプ(独28機)、フランク・クイグリー(カ33機)とウィリアム・フライ(英11機)に撃墜され戦死。 |
1月9日 |
マックス・フォン・ミューラー(独36機)、フランク・ソーデン(英27機)とロバート・チルドロウ・ロバーツ(英10機)に撃墜され戦死。 |
1月25日 |
ジョージ・ハックウィル(英9機)、ソッピース・キャメル夜間戦闘機によりゴータG.Vを夜間撃墜する。 |
2月3日 |
ルッパート・ウィンター(英5機)、オットー・フルーナー(独27機)に撃墜され戦死。 |
2月28日 |
ジェームズ・マッカデンの弟ジョン・マッカデン(英8機)、ウルリッヒ・ネッケルに(独30機)に撃墜されるも生き延びる。 |
3月10日 |
ハンス・ヨアヒム・ブデッケ(独13機)、アーサー・ウィーリィ(カ27機)に撃墜され戦死。 |
3月15日 |
アドルフ・フォン・トゥチェク(独27機)、ハロルド・レドラー(英10機)に撃墜され戦死。 |
3月17日 |
ハンス・ベトゲ(独20機)、アレクサンダー・ロウルストン(英8機)のD.H.4に撃墜され戦死。ロウルストンも負傷。 |
3月17日 |
リチャード・ミニフィー(豪21機)、フリードリッヒ・エーマン(独8機)に撃墜され捕虜となる。 |
3月18日 |
ジョン・マッカデン(英8機)、ハンス・ヴォルフ(独10機)に撃墜され戦死。 |
3月21日 |
西部戦線でドイツ軍の春季大攻勢(皇帝の戦い)始まる。 |
3月21日 |
エルンスト・ストロシュナイダー(墺15機)、夜間帰投時に事故死。 |
3月23日 |
エリック・トーマス(独10機)、ジャン・シャプー(仏16機)に撃墜され捕虜となる。 |
3月23日 |
アラン・マックロード(カ5機、操縦)とアーサー・ハモンド(英5機、後方機銃)のアームストロング・ホイットワースF.K.8、ハンス・キルシュタイン(独27機)に撃墜される。 マックロードは不時着後、自らも重傷を負いながら瀕死のハモンドを救出した功によりヴィクトリアクロスを受章。 |
3月28日 |
ジョン・トロロープ(英18機)、パウル・ビリク(独31機)に撃墜され捕虜となる。(負傷により片腕切断) |
3月30日 |
アラン・ジェラード(英4機)、オーストリア・ハンガリー空軍の基地を攻撃し、ベンノ・フィアラ・フォン・フェルンブルック(墺28機)に撃墜され捕虜となる。同僚パイロットたちの誤報によりヴィクトリアクロスを授与されるも、後に事実でないことが判明した。 |
4月21日 |
ドイツのトップエース マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(独80機)、ウィルフリッド・メイ(カ13機)を追撃中に地上砲火により撃たれ戦死。(ロイ・ブラウンに撃たれたとも) |
4月21日 |
ロバート・リトル(豪47機)、フリードリッヒ・エーマン(独8機)に撃墜され不時着する。 |
4月29日 |
ハインリッヒ・ボンガルツ(独33機)、エドワード・マノック(英61機)およびクライブ・グリン(英8機)と空戦中に左目を撃たれ失明。 |
5月2日 |
ハンス・ヴァイス(独16機)、メリル・テイラー(カ7機)に撃墜され戦死。 |
5月6日 |
ジャン・シャプー(仏16機)、ヘルマン・ベッカー(独23機)に撃墜され戦死。 |
5月7日 |
アルフレッド・アトキー(カ38機、操縦)・チャールズ・ガス(英39機、後方機銃)およびジョン・ガードン(英28機、操縦)・アンソニー・ソーントン(英5機、後方機銃)のブリストルファイター2機が20機のドイツ戦闘機と戦い8機を撃墜したと報告。 |
5月15日 |
ハーバート・セラーズ(英8機、操縦)とチャールズ・ロブソン(英11機、後方機銃)のブリストルファイター、ヨーゼフ・マイ(独30機)に撃墜され、セラーズは戦死、ロブソンは捕虜となる。 |
5月17日 |
フランツ・グレイサー(墺18機)、イタリア空軍のガストーネ・ノベリ(伊8機)、グイド・ナルディーニ(伊6機)、チェザーレ・マジストリーニ(伊6機)らに撃墜され戦死。 |
5月19日 |
ラファイエット航空団の英雄 ラオール・ラフベリー(米17機)、ルンプラー偵察機との空戦で戦死。 |
5月19日 |
アルバート・カーター(カ28機)、パウル・ビリク(独31機)に撃墜され捕虜となる。 |
5月19日 |
カール・ペッチ(独9機)、空戦中にヒュー・ホワイト(英7機)のS.E.5と衝突し戦死。 |
5月24日 |
ヨーゼフ・キス(墺19機)、ジェラルド・バークス(英12機)に撃墜され戦死。 |
5月27日 |
オーストラリアのトップエース ロバート・リトル(豪47機)、ゴータ爆撃機との夜間戦闘で戦死。 |
5月27日 |
ルドルフ・ヴィンディッシュ(独22機)、フランス機との空戦で不時着し行方不明となる。 |
6月1日 |
オーストラリアの英雄 ロデリック・ダラス(豪32機)、ヨハネス・ヴェルナー(独7機)に撃墜され戦死。 |
6月17日 |
クルト・ビュストホフ(独27機)がジョージ・ジョンソン(カ11機)、イアン・マクドナルド(英20機)、ホレイス・バートン(南ア19機)らのSE5に撃墜され捕虜となる。 クルト・ビュストホフ(独27機)がジョージ・ジョンソン(カ11機)、イアン・マクドナルド(英20機)、ホレイス・バートン(南ア19機)らのSE5に撃墜され捕虜となる。 |
6月19日 |
イタリアのトップエース フランチェスコ・バラッカ(伊34機)、地上砲火により戦死。 |
6月27日 |
ヘルムート・スタインブレッヒャー(独5機)、エドワード・ドレイク(英5機)に撃墜されるも、実戦における最初のパラシュート降下に成功する。 |
6月27日 |
エリオット・ホワイト・スプリングス(米16機)、ヨーゼフ・ラエシュ(独7機)に撃墜され負傷。 |
7月2日 |
ジョセフ・キャラハン(英5機)、フランツ・ブフナー(独40機)に撃墜され戦死。 |
7月3日 |
ヴィルヘルム・ラインハルト(独20機)、新型機の試験飛行中に事故死。 |
7月8日 |
アーサー・クレイドン(英7機)、パウル・ビリク(独31機)に撃墜され戦死。 |
7月9日 |
ジェームズ・マッカデン、(英57機)事故により死亡。死後、ヴィクトリア十字章を受章。 |
7月16日 |
ハンス・キルシュタイン(独27機)、事故により死亡。 |
7月19日 |
バーナード・スマートら7機のソッピース・キャメル、航空母艦フューリアスを発艦し、デンマークのトンダーン基地を急襲してツェッペリンL54とL60を破壊。 |
7月22日 |
インドのトップエース インドラ・ラル・ロイ(印10機)、ハラルド・アウフファールト(独29機)に撃墜され戦死。 |
7月25日 |
ジョセフ・シダル(英9機)、ディーター・コリン(独13機)に撃墜され戦死。 |
7月25日 |
カール・メンコフ(独39機)、ウォルター・アベリィ(米1機)に撃墜され捕虜となる。 アヴェリィはこれが初めての実戦だった。 |
7月25日 |
ヨーゼフ・ラエシュ(独7機)、アイヴァン・ハインド(南ア8機)に撃墜されるも落下傘で脱出。 |
7月26日 |
イギリスのトップエース エドワード・マノック(英61機)、地上砲火に撃墜され戦死。 死後、ヴィクトリアクロスを受章。 |
7月30日 |
ジョン・コウエル(英16機)フリードリッヒ・フォン・レート(独28機)に撃墜され戦死。 |
7月30日 |
フランク・リンケ・クロフォード(墺27機)、空戦中に機体が分解し戦死。(イタリア空軍のアルド・アストルフィに撃墜されたとも) |
7月31日 |
アイルランドのトップエース ジョージ・マッケロイ(英47機)地上砲火に撃墜され戦死。 |
8月1日 |
ウィリアム・アーウィン(米8機)のサルムソン2A2がルドルフ・ベルトホルド(独44機)に撃墜され不時着。 |
8月1日 |
ガブリエル・ゲラン(仏23機)、事故により死亡。 |
8月6日 |
エグバード・キャドバリー(英2機)とロバート・レッキー(英2機)のD.H.4が北海上空でツェッペリンL70を撃墜。 |
8月10日 |
エーリッヒ・レーベンハルト(独54機)、空戦中に僚機と衝突し、機外に脱出するも落下傘が開かず墜死。 |
8月12日 |
ジョン・サマーズ(英8機)、ローター・フォン・リヒトホーフェン(独40機)に撃墜され捕虜となる。 |
8月12日 |
アイヴァン・ハインド(南ア8機)、エルンスト・ウーデット(独62機)に撃墜され戦死。 |
8月13日 |
チャールズ・ブッカー(英29機)、ウルリッヒ・ネッケル(独30機)に撃墜され戦死。 |
8月13日 |
ディーター・コリン(独13機)、エイドリアン・トンクス(英12機)に撃墜され戦死。 |
8月17日 |
ウィリアム・クラックストン(カ37機)、ヨハネス・ギルデマイスター(独5機)に撃墜され、頭に重傷を負って捕虜となる。 |
9月1日 |
ジョン・ドナルドソン(米7機)、JGⅢのテオドール・クアント(独15機)に撃墜され捕虜となる。 |
9月2日 |
ブルーノ・レルツァー率いるJGⅢは一日で26機の連合軍機を撃墜。JGⅢの損失はゼロだった。ジェセ・クリーチ(米7機)はオットー・レフラー(独15機)に撃墜された。 |
9月4日 |
ジェームズ・フォアマン(カ9機)率いる第70飛行中隊のソッピース・キャメル12機がブルーノ・レルツァー(独44機)やオットー・フルーナー(独27機)らJGⅢのフォッカーDⅦと戦い、8機を喪失する。 フォアマン自身も撃墜されて捕虜となる。 |
9月12日 |
デビッド・パットナム(米13機)、ゲオルグ・フォン・ハンテルマン(独25機)に撃墜され戦死。 |
9月16日 |
フランスの気球エース モーリス・ボユー(仏35機)、ゲオルグ・フォン・ハンテルマン(独25機)に撃墜され戦死。 |
9月18日 |
フランク・リュークの親友 ジョセフ・ウェーナー(米6機)、ゲオルグ・フォン・ハンテルマン(独25機)に撃墜され戦死。 |
9月27日 |
サミュエル・トンプソン(英30機)、オスカー・ヘンリッヒ(独20機)またはオットー・シュミット(独20機)に撃墜され戦死。 |
9月27日 |
フリッツ・ルメイ(独45機)がジョージ・ローソン(英6機)と空中衝突し、機外に脱出するも落下傘が開かず墜死。 |
9月28日 |
アーネスト・ホイ(カ13機)、ヨーゼフ・ラエシュ(独7機)に撃墜され捕虜となる。 |
9月28日 |
アメリカの気球エース フランク・リューク(米18機)が地上砲火に撃墜されて不時着し、ドイツ歩兵と銃撃戦を行って射殺される。 |
10月4日 |
ジョン・グリーン(カ15機)、カール・デゲロウ(独30機)に撃墜される。 |
10月5日 |
フランスの伝説的パイロットであるローラン・ギャロス(仏4機)がヘルマン・ハビッヒ(独7機)に撃墜され戦死。 |
10月5日 |
アルノ・ベンツラー(独9機)、ピエール・マリノビッチ(仏22機)に撃墜され負傷。 |
10月5日 |
アヴィエーション画家クレイトン・ナイトのD.H.9、ハラルド・アウトファールト(独29機)のフォッカーDⅦと正面から撃ち合って撃墜され捕虜となる。 |
10月10日 |
ウィルバー・ウォーレス・ホワイト(米8機)、味方機を救うためにヴィルヘルム・コールバッハ(独5機)のフォッカーD.Ⅶに体当たりして戦死。 |
10月14日 |
ドイツの気球エースフリードリッヒ・フォン・レート(独28機)、ルッパート・アトキンソン(英5機)のD.H.9に撃墜され負傷。 |
10月18日 |
フリッツ・ベルネルト(独27機)、スペイン風邪により病死。 |
10月20日 |
フランク・クイグリー(カ33機)、スペイン風邪により病死。 |
10月26日 |
オリバー・フォン・ビューロー・マルコナイ(独25機)、味方機に誤射され、後に死亡。 |
10月27日 |
カール・シュレーゲル(独22機)、ピエール・マリノビッチ(仏22機)に撃墜され戦死。 |
10月27日 |
ウィリアム・バーカー(カ50機)、単機で数十機のドイツ戦闘機と戦って負傷するも、4機を撃墜してヴィクトリアクロスを受章。 |
10月27日 |
ガイ・ウェアリング(英9機)、ヨーゼフ・ラエシュ(独7機)に撃墜され戦死。 |
10月29日 |
フランスの気球エース ミッシェル・コワファール(仏34機)がドイツ機に撃たれ、味方戦線までたどり着くも出血多量で戦死。 |
10月30日 |
カール・ボーレが率いるJGⅢは連合軍機10機を撃墜し、この空戦でアルヴィン・カレンダー(米8機)やロバート・ファークハー(英6機)らが撃墜され戦死。 |
11月4日 |
カール・ボーレが率いるJGⅢは連合軍機13機を撃墜し、ソッピース・スナイプのエース トーマス・ベイカー(豪12機)やアーサー・パリサー(豪7機)らがカール・ボーレ(独36機)とエルンスト・ボーマン(独16機)に撃墜され戦死。 |
12月31日 |
ドイツの気球エース フリードリッヒ・フォン・レート(独28機)、ドイツの敗北に絶望して自殺。 |
1919年 |
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1月8日 |
ドイツ最年少のエース マックス・ネーター(独26機)、ポーランド革命軍と戦って戦死。 |
7月10日 |
フランスの伝説的エース ジャン・ナヴァル(仏12機)、飛行練習中に事故死。 |
8月1日 |
ロシアのトップエース アレクサンドル・カザコフ(露20機)、ロシア内戦に絶望し、自軍飛行場でソッピース・スナイプにより自爆。 |
1920年 |
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3月15日 |
ルドルフ・ベルトホルド(独44機)、ドイツ共産党員に殺害される。 |
3月18日 |
フランツ・ブフナー(独40機)、ポーランド革命軍と戦って戦死。 |