名前:アルバート・ボール

所属:大英帝国陸軍

階級:大尉

誕生日:1896年8月14日

死亡日:1917年5月7日(戦死)

撃墜数:44機

叙勲:DSO MC ビクトリア十字章

経歴:第一次大戦初期における大英帝国陸軍戦闘機隊のトップエースで、ドイツのリヒトホーフェンやフランスのギンヌメールと並び称された。

小型軽量なニューポール戦闘機を好み、単機空戦を得意とした。

ボールは1916年5月16日から9月30日までの4か月半にドイツ機31機を撃墜した後、休養のためにイギリスへ帰国し、1917年4月に再びフランスの最前線に戻った。当時リヒトホーフェン率いるドイツ戦闘機隊が猛威を振るい、連合軍航空隊は「血まみれの4月」と呼ばれる大損害を被っていた。ボールはリヒトホーフェン討伐隊を結成してドイツ戦闘機隊と激闘を展開し、4月23日から5月6日までの2週間に13機を撃墜する活躍を見せたが、5月7日の夕刻に雷鳴轟く中でリヒトホーフェン戦闘機隊とドッグファイトを展開した際、地上に激突して壮烈な戦死を遂げた。

ドイツ側はボールを撃墜したのはレッドバロンの弟ローター・フォン・リヒトホーフェン(40機撃墜)であると主張しているが、乱戦の中であり定かではない。戦死後、ボールの栄誉を称えキングジョージ5世よりビクトリア勲章が追贈された。