名前:フリッツ・ベックハルト

所属:ドイツ帝国陸軍

階級:曹長

誕生日:1889年3月27日

死没日:1962年1月13日

撃墜数:17機

叙勲:ホーエンツォレルン勲章

経歴:ラインヘッセンのドイツ系ユダヤ人の子として生まれた。第一次大戦が勃発すると、歩兵連隊に入り、1916年には戦功により第1級及び第2級鉄十字章を受章した。1917年1月にパイロットとしての訓練を受けて偵察任務に就いた後、戦闘機パイロットとなり、1918年2月にブルーノ・レルツァーが率いるJasta26に配属された。ベックハルトは同年4月11日にイギリス空軍のRE.8を撃墜したのを皮切りに戦果を重ね、同年11月の終戦までに17機の撃墜を記録した。これはドイツ系ユダヤ人パイロットとしてはヴィルヘルム・フランクル(20機撃墜)に次ぐ記録だった。ドイツが降伏した際、全ての戦闘機を連合軍に引き渡すよう命令が出たが、ベックハルトはこれを拒否し、愛機のジーメンス・シュッケルトD.Ⅲに搭乗して中立国だったスイスへ飛んだ。

ベックハルトは自分の愛機にパーソナルマーキングとしてスワスチカ(鉤十字)を描いていたことで知られている。皮肉なことにスワスチカは後にナチスドイツのシンボルマークとなったが、当時は幸運のシンボルだったのである。

第一次大戦後、ベックハルトはドイツ人女性と結婚したが、これがナチスの法令に抵触したため逮捕され、大戦中の戦功も抹消されてブッケンバルトの絶滅収容所に送られてしまった。しかし、これを知った国家元帥ヘルマン・ゲーリングはゲシュタポに命じてベックハルトを収容所から解放させた。ゲーリングとベックハルトはかつてJasta26で命を賭けて共に戦った戦友だったのである。



中央はJG27指揮官ブルーノ・レルツァー大尉で、右端がベックハルト