名前:エドワード・ミック・マノック

所属:大英帝国陸軍・空軍

階級:少佐

誕生日:1887年5月24日

死亡日:1918年7月26日(31歳 戦死)

撃墜数:61機

叙勲:MC DSO ヴィクトリア十字章

経歴:ビリー・ビショップ(カナダ72機撃墜)に次ぐ大英帝国空軍第2位のエース。幼少の頃から右目の視力がほとんどなかったが、それを隠してパイロットになった。飛行学校ではジェームズ・マッカデンの指導を受け、第40飛行中隊に配属された。1917年5月7日、ニューポール17でドイツ軍の観測気球を撃墜して初戦果を挙げたのを皮切りに1918年1月までに16機を撃墜した。その後、第74飛行中隊に転属し、S.E.5aで戦果を重ね、同年6月17日には撃墜数が52機に達した。7月初めにはビリー・ビショップの後任として第85飛行中隊の指揮官となり、さらに8機を撃墜したが、7月26日の早暁ユンカースCL.Ⅰを撃墜した直後に対空砲火を浴び、地上に激突して戦死した。マノックはドイツ兵を憎むこと甚だしく、不時着したドイツ機の乗員に対して情け容赦なく銃撃を加えたと言われるが、部下には情が厚く、若いパイロットに自信を持たせるためしばしば戦果を譲ったと言われている。死後、キング・ジョージ5世からヴィクトリア十字章を授けられた。

ニューポールの操縦席に座っているのがマノック

SE.5の操縦席に収まるマノック