名前:ヴィリー・ローゼンスタイン
所属:ドイツ陸軍
階級:少尉
誕生日:1892年1月28日
死没日:1949年5月
撃墜数:9機
叙勲:鉄十字章
経歴:ユダヤ系ドイツ人の子としてシュツットガルトに生まれた。
子供の頃より飛ぶことに強い憧れを持ち、第一次大戦前の1912年3月に飛行免許を取得し、翌年にはベルリンのヨハニスタール飛行場で飛行教官になった。第一次大戦が勃発するとただちに陸軍に入隊し、1914年11月に曹長に進級した後、1915年3月には早くも第2級鉄十字章を受章した。
1916年2月には少尉に任官し、4月にベルダンの戦いで負傷した後、さらに180回の戦闘飛行を行って第1級鉄十字章を受章した。
1916年9月に編成されたばかりのJasta9に所属した後、1917年2月にはJasta27に転属し、指揮官ヘルマン・ゲーリングの列機として飛んだ。
同年9月21日にDH.4爆撃機を初撃墜し、26日にはソッピース・キャメルを撃墜したが、ユダヤ人嫌いのゲーリングと衝突し、Kest1bに転属した。1918年7月にはさらにJasta40に転属し、黒い胴体に白いハートを描いたフォッカーD.Ⅶに搭乗した。ローゼンシュタインはいつも危険な編隊の最後尾を飛んで味方機を守ったため、指揮官カール・デゲロウの信頼は極めて厚かった。同年10月27日にはソッピース・キャメルを墜として総撃墜数を9機とした。
終戦後はグライダーの教官として生計を立てていたが、ナチス党によるユダヤ人迫害が始まり、ローゼンシュタイン一家にも危機が迫ったが、国家元帥ゲーリングの助力によりローゼンシュタインたちは無事に南アフリカへ脱出することが出来た。第二次大戦が勃発すると、彼の長男エルネストは南アフリカ空軍の戦闘機パイロットとなり、ドイツ空軍との戦いで戦死した。
爆撃機の胴体にはユダヤの星が描かれている
胴体に白いハートが描かれたローゼンシュタインのフォッカーD.Ⅶ
ローゼンシュタインとゲーリング
貴婦人とローゼンシュタイン